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劇団四季「ひかりごけ」
4月になっていろいろ軌道に乗ってきたので、また演劇とか観に行くようになってます。

昨日は劇団四季の「ひかりごけ」を観てきました。

それがもう、シビアな舞台で[m:206]

戦時中に北海道に難破した陸軍の兵隊が、食べ物がなくなって
先に死んだ同僚の肉を食べて生き延びる・・・
最後に一人残った船長が、裁判にかけられて弁明をする。

そんなストーリー。実話が元になっています。
日本で唯一食人について裁かれた裁判だと言われています。

「検察殿は、私が人肉を食べていたそのときに、人肉以外のいろいろなものを食べていたと言いました。そんなあなたに裁かれたくはありません。私は私が食べた同僚に裁かれたい」

「あなたたちは私が光って見えるはずです。人肉を食べた私は光っているんです。私には自分の光が見えません。自分で光っているから、自分の光が見えないんです」

でもあなたたちには見えるはずです。さあもっとよく見て下さい。え!?見えない?そんな馬鹿な。見えないと言うことはあなたたちは・・・」

この言葉についての自分の解釈はこんな感じ。


人々は被告人が社会的に極悪な存在だと非難する。
被告人は、社会的存在である前に、自分は人間という動物であると主張する。
食べなければ生きていけないし、死んだらただの肉である、動物である。

ご立派なことを言う裁判長も弁護人も検察官も、きれいな社会的存在で、社会的人間として生きている。
だから動物的存在としての動物的人間の側面はないはずだ。
でもあなたもやはり動物だったんですね・・・。

それが被告の言いたかったことだと思いました。
そしてその言葉にB29の爆雷の音が響いて、舞台は終わります。

東野圭吾の小説「手紙」では、殺人犯の家族が受ける苦難が描かれています。

「ひかりごけ」と「手紙」で共通して感じられるのは
自分は悪いことはしていない。
そして悪いことをするはずがない。
悪いことをしたやつは悪い存在だ。
私は善だ。

そう考えて、自分がその同じ局面に立たされたときのことを、想像しようとしない。

そんな人間の心を感じられます。

終わった後、銀座でしゃぶしゃぶを食べました。
肉をおかわりしておいしく頂きました。

よく考えると、このタイミングで肉を食うのはシュールだったかも(苦笑)
| 玉川一郎 | - | comments(0) | trackbacks(1) | pookmark |
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2009/04/13 4:24 AM posted by: 超局所的シネマレビュー
ぼくにフォトリーディングとマインドマップを教えてくれ、40年来苦手だった読書の悩みを解決して光あふれる未来に導いて下さった先生(宗教じゃありません)が、この芝居をブログで紹介されていたので、観に行ってみた。